「名誉の負傷」
遅塚麗水の紀行文集「日本道中記」からです。読んでいておもしろいと思った件(くだり)を記載します。
富士の巻 四
燕脂(べに)をもて吉(きち)の字を書きたる撒餅(まきもち)の雨は、式後(しきご)の場(にわ)に降(ふ)れり、そを拾(ひろ)はんとして若(わか)き老(お)ひたる人のなだるる中(うち)を、数旒(すうりゅう)の会旗(かいき)を擁(よう)して在郷軍人(ざいごうぐんじん)の一隊(いったい)は行くなりき。餅丸(へいがん)やいよいよ急に巨雹(きょはく)のごとく人を乱(みだ)れ撲(う)つ、帽子(ぼうし)を打ち落さるるあり、眼鏡(めがね)を弾(はじ)き飛(とば)さるるあり、一丸(がん)あり、従軍(じゅうぐん)徽章(きしょう)と青色桐葉章(せいしょくどうようしょう)とを列(なら)べ懸(か)けたる在郷軍人(ざいごうぐんじん)の面(おもて)に中(あた)る。楯(たて)のごとく胸張り反(そ)らして、双手(そうしゅ)を高く挙(あ)げながら、名誉の負傷と号(さけ)べば、環(めぐ)り看(み)るもの一斉に万歳を唱(とな)ふる也。
私は、「餅を弾丸に譬え、それが勲章をつけた軍人に当たり、名誉の負傷と叫ぶと、周りの人々が、それに答えて万歳と叫んだのが面白く感じたのですが・・・・?」
富士の巻 四
燕脂(べに)をもて吉(きち)の字を書きたる撒餅(まきもち)の雨は、式後(しきご)の場(にわ)に降(ふ)れり、そを拾(ひろ)はんとして若(わか)き老(お)ひたる人のなだるる中(うち)を、数旒(すうりゅう)の会旗(かいき)を擁(よう)して在郷軍人(ざいごうぐんじん)の一隊(いったい)は行くなりき。餅丸(へいがん)やいよいよ急に巨雹(きょはく)のごとく人を乱(みだ)れ撲(う)つ、帽子(ぼうし)を打ち落さるるあり、眼鏡(めがね)を弾(はじ)き飛(とば)さるるあり、一丸(がん)あり、従軍(じゅうぐん)徽章(きしょう)と青色桐葉章(せいしょくどうようしょう)とを列(なら)べ懸(か)けたる在郷軍人(ざいごうぐんじん)の面(おもて)に中(あた)る。楯(たて)のごとく胸張り反(そ)らして、双手(そうしゅ)を高く挙(あ)げながら、名誉の負傷と号(さけ)べば、環(めぐ)り看(み)るもの一斉に万歳を唱(とな)ふる也。
私は、「餅を弾丸に譬え、それが勲章をつけた軍人に当たり、名誉の負傷と叫ぶと、周りの人々が、それに答えて万歳と叫んだのが面白く感じたのですが・・・・?」