「羔羊(コウヨウ)の何物たるかを知らざるなり。」

「羔羊(コウヨウ)の何物たるかを知らざるなり。」という言葉が出てきた。「詩経」では、羔羊(こひつじ)のような徳を讃えた。「羔羊は乳を飲むとき、跪(ひざまず)いて飲むのは人とかわりがなく、乳を飲むときでも遠慮し、はじらうのである。」 
文全体の意味は、「羔羊(羔羊の徳)がいかなるものか知らなかった。」ぐらいの意味でしょうか?

(訂正)論語 八佾篇

○子貢告朔こくさくの餼羊きようを去らんと欲す。子曰く、「賜しや。なんじはその羊を愛おしむ。われはその礼を愛おしむ。

(告朔とは諸侯が毎月のついたちを祖廟につげる祭りで、羊を供える慣例であるが、孔子の時代には、諸侯は親祭せず、祭官にまかせてあった。魯の朝廷に仕えた子貢は、告朔の祭は既に虚礼になってしまったから、羊を供えるまでもないと思い、廃止しようとした。それを聞いて孔子が言った。―賜<子貢の名>よ。きみは羊が惜しいらしいが、わたしは告朔の祭という古礼を惜しむのだ。羊を供えるのをやめれば、この祭は貧弱になり、やがて消滅してしまうだろう)。

孔子が、虚礼を廃止しようとする賜に対して、羔羊を供える(この場合は告朔の祭で羊を供える意味でしょう)意味を知らないのか、という意味でしょうか。

(2014/03/03 8:33 再訂正)
『毛詩(詩経)』に「羔羊」の篇があり、讃めて、「召南の国、文王の政に化し、位に在るものみな節倹・正直せいちょくにして、徳、羔羊のごときなり」と詠っている。その意味は、その時代の士大夫したふはなかまと一体となって、結束はかたいが、行動はひとにへつらって同調することはせず、正義のためには死をもいとわず、礼を守って生きたので、みな質素で正直でその徳は羔羊こひつじのようであった、というのである。羔羊は乳を飲むとき、跪いて飲むのは人とかわりがなく、乳を飲むときでも遠慮し、はじらうのである。嘆かわしいことに、今の人は、逆にこの禽獣けだものにさえ及ばない。それでこのことばを述べて、羔羊の詩を作ったのである。

以上のことから、はじめに述べた意味同様、「羔羊(羔羊の徳)がどのようなものか知らないのでしょうか」ぐらいの意味でしょうか?

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octave007

Author:octave007
奈良県 男性
ペンネーム octave(数学のソフトウエア名より)
プロフィールの画像は、自分の名を古代文字でジーンズのバックポケットに刺繍してみました。気障かな。(笑)

〇漢字検定1級13回合格
〇数学検定2級合格
〇漢字教育サポーター養成講座 第1期受講認定、受講修了
〇平成25年6月6日 漢字教育士(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所認定)取得
〇奈良漢字おしゃべり会 会員
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