「擲果満車(てきかまんしゃ)」
白川静氏によれば、「投果」は古くは邪霊を祓うこと、すなわち辟邪のために行われ、のち魂振りの俗になった。この俗はのちまで行われたものらしく、六朝の晋の潘岳(ばんがく)は、風采のよい美男子で、かれが狩衣姿で都中に車を走らせると、女たちは争ってかれの車に果物を投げ込んで車中はたちまち果物でいっぱいになったという。同じころ山東から都に出てきた左思(さし)が、都中を車で行くと、この風采のあがらぬ田舎人に、女たちは瓦礫をあびせたので、辟易して逃げ帰ったという話が、『世説新語』に載せられている。
私も若いときは潘岳で、歳を経てから左思になってしまった。(笑い)
私も若いときは潘岳で、歳を経てから左思になってしまった。(笑い)