新嘗祭の淵源
佐藤信弥著 『周』を読んでいたら、新嘗祭の淵源について記事を見つけた。
厲王(れいおう)の暴虐の資質も宣王に受け継がれた。宣王の時代の軍事面での功業を伝える『詩経』に対し、『国語』周語上や『史記』では、宣王の暴虐あるいは暗愚な所行を伝える。具体的には、籍田(せきでん)の礼を怠り、臣下に諌められたこと、敗戦により南国の師を失ったことを承け、新兵徴収のために太原(たいげん)の地で人口調査を行おうとして、やはり臣下に諌められたこと、そして魯国の侯位継承に介入し、魯の第九代君主武公(ぶこう)の子のうち長子の括(かつ)ではなく、自分が気に入った末子の戯(ぎ)を太子として立てさせたことなどである。
籍田(せきでん)の礼とは、神霊に供えるための穀物を栽培する専用の農地(これを籍田と呼ぶ)で、王自らが臣下や庶民とともに耕作を行う農耕儀礼である。日本の天皇が新嘗祭(にいなめさい)で供えるための稲を自ら栽培する風習は、おそらくこの籍田の礼に淵源がある。
勉強になりました。
厲王(れいおう)の暴虐の資質も宣王に受け継がれた。宣王の時代の軍事面での功業を伝える『詩経』に対し、『国語』周語上や『史記』では、宣王の暴虐あるいは暗愚な所行を伝える。具体的には、籍田(せきでん)の礼を怠り、臣下に諌められたこと、敗戦により南国の師を失ったことを承け、新兵徴収のために太原(たいげん)の地で人口調査を行おうとして、やはり臣下に諌められたこと、そして魯国の侯位継承に介入し、魯の第九代君主武公(ぶこう)の子のうち長子の括(かつ)ではなく、自分が気に入った末子の戯(ぎ)を太子として立てさせたことなどである。
籍田(せきでん)の礼とは、神霊に供えるための穀物を栽培する専用の農地(これを籍田と呼ぶ)で、王自らが臣下や庶民とともに耕作を行う農耕儀礼である。日本の天皇が新嘗祭(にいなめさい)で供えるための稲を自ら栽培する風習は、おそらくこの籍田の礼に淵源がある。
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